福島県西白河郡矢吹町矢吹

2015/03/24取材

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別名:水館、狐ヶ館、袖ヶ館

袖ヶ城は西に隈戸川が流れ外堀の役目を果たし、川に面する部分は急崖で、自然の地形を利用した要害である。

矢吹地方は平安時代末期から石川頼遠、有光親子の所領で、石川氏は藤田城を居城としていた。石川有光は東山道への備えとして、弟基時に矢吹を支配させ、後に家臣の矢吹氏がこの地を所領とした。

天正17年(1589)の須賀川落城の際、石川昭光は伊達政宗につき、戦後須賀川城を与えられ城代として矢吹薩摩が入城した。しかし翌天正18年、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達政宗は移封となり、石川氏もこれに従い、矢吹氏もまた石川氏とともに角田市へ落ち着いた。

以来この地は白河領となり、奥州街道の宿場町として栄えた。