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福島県伊達市霊山町石田

震災前取材

 

霊山(りょうぜん)は、福島県伊達市と相馬市との境にそびえる標高825mの 奇岩を連ねている岩山である。南北朝時代の重要な城跡遺構として国史跡及び国名勝にも指定されている。

古くは修験道の山として知られ、山中には護摩檀跡などの名残も残っている。現在は遊歩道がよく整備されて登りやすい山となっており、弁天岩や天狗の相撲場、蟻の戸渡りなどの奇岩巡りができる。また、西物見岩からは福島市街地や伊達郡、伊達市、東物見岩からは相馬市街地や相馬郡、太平洋まで望むことができる。紅葉の名所としても知られており、10月下旬になると多くの登山客で賑わう。

貞観元年(859)に比叡山延暦寺の慈覚大師円仁によって山岳院霊山寺が開創され、天台宗の拠点として栄え、最盛期は3600坊 をかかえる大寺院だったと云われている。南北朝時代 の建武4年(1337)、北畠顕家が霊山城を築き、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国の国府を置くなど、奥羽地方における南朝方の一大拠点として機能した。

霊山城はこの山岳寺院を利用した寺院城郭である。 霊山城碑などがある標高800mの山上平場が「本城」とみられる。高さ1.5mの土塁が南北32m、東西50mの長方形に作られ、西側には礎石もみられる。本城の北 側の6mほど高い平場もなんらかの防御施設があったとみられる。更に北は急斜面になっている。

本城の南下には松賀池を中心に平場がつづく。本城直下には「国士舘」とよばれ礎石をもつ 平場があり、その西にのびる平場はニの郭とみられる。さらに下にも幾段にも削平地が設けられている。特に西側の10数箇所の遺構は大手口の防備施設としての三 の郭とみられる。

本城西側の巨岩は西物見岩、東300mの標高最高点岩塔を東物見岩とよんでいる。ともに眺望がよい。また東物見岩の西、南は広い丘状の平坦地になっていて南300mには「仙人水」とよぶ湧水池があり、その東に数段の 平場がみられる。また北側の山王平には山王社がまつってあり、高さ2mをこす土塁で囲まれており、ここも重要な防御施設であったと思われる。

北畠顕家はその後、後醍醐天皇より足利尊氏追討の勅命を受け、この地の伊達行朝とともに義良親王を奉じて西上するも和泉石津の戦いで敗死、霊山は貞和3年(1347)に、相馬親胤により攻められて炎上陥落した。以後、霊山が歴史の表舞台に現れることはなかった。

昭和9年(1934)に、建武中興600年を記念して、国の史跡名勝に指定された。また、福島県立自然公園にもなっている。