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福島県白河市大工町…皇徳寺

  • 小原庄助の墓
 

民謡会津磐梯山の中の囃子言葉に出てくる、

小原庄助さん、なんで身上つぶした
朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、
あ~もっともだぁ、もっともだぁ

の中の「小原庄助」は、架空の人物と云われているが、そのモデルの人物に関しては複数の説がある。

この地には、「小原庄助の墓」があり、次のように伝えられる。

小原庄助は、会津の塗師の久五郎のことで、当時、画壇で有名な谷文晁の高弟で、羅漢山の麓に住み絵を描いていた羅漢山人のもとへ、絵付を習いに度々訪れていた。

羅漢山人は大酒客として白河で知らぬ者はなく、また久五郎も大の酒好きで、二人は肝胆相照らし、会うたびに、連日連夜酒盛りをしていた。その酒のためか、安政5年(1858)6月、久五郎は山人のもとで客死してしまい、この皇徳寺に葬られた。

墓石は、杯と徳利を型取り、表面に「会津塗師 米汁呑了居士」とあり、裏面には「朝によし、昼はなほよし、晩もよし、飯前飯後其間もよし」と刻んである。

その久五郎の死後3年目に羅漢山人も死んだ。遺言により墓は、酒飲み仲間の久五郎の墓に並んで立てられたと云う。