福島県白河市東深仁井田字千代ノ岡
2014/03/24取材
平安末期の前九年の役の際に、源義家は安部貞任討伐のため陸奥に出兵し、この地に到った。義家はこの地に陣を敷き、この清水を愛飲したと云う。
このことから、この地は「陣ヶ平」と呼ばれるようになり、清水は「御君の清水」とも呼ばれていた。
また義家はこの地から南に向かって弓を射ったところ、矢は山を越えて二十町先まで飛んだ。その山は「矢越山」と呼ばれており、矢を抜いた後には清水が湧き「雁股清水」と呼ばれている。
この地にはかつては武神として信仰されていた諏訪神社が、明治42年(1909)に遷宮されるまで祀られており、土用の丑の日には奉納相撲が行われ、大変な賑わいだったと伝えられる。