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福島県猪苗代町西峯

 

磐椅(いわはし)神社は、応神天皇の時代(250年頃)武内大臣の巡視の折に、勅命を奉じて国土開発の神の大山祇命、埴山姫命を磐椅山(磐梯山)の頂上に祀ったのが最初と伝えられる。又、天平元年(729)見禰山南麓の現在地に遷座し、応神天皇と神功皇后を祀った。十世紀の始めの「延喜式」神名帳には、磐椅神社は耶麻郡一座にとしてあり、神殿門、廻廊、鐘桜、及数座の末社が連なり、宏麗だった伝えられている。

その後、承元元年(1207)、猪苗代城主三浦経連が現在地に旧社殿のまま遷座した。天正年間(1573~92)、伊達氏と葦名氏の摺上原の合戦後、一時衰微したが、会津藩主保科正之が寛文年間(1660~1672)社殿を造営し、万治2年()正之が参詣し、正之の没後は、自ずからが末社たらんことを告げて神事を行った。現在正之が祀られている土津神社は、磐椅神社の末社となる。

磐椅神社は磐梯山をご神体とし、磐梯山はもとは磐椅山といい、天に高くそびえる姿を岩の梯子に例えたからだと云う。磐梯山の山頂には、手長足長が祀られており、弘法大師の伝説を伝える。

・鳥居杉

元久2年(1205)、当時の猪苗代城主猪苗代経連が磐椅神社に社領を寄進し、2年後の承元元年(1207)、神社を現在の地に遷座して、その時に鳥居の杉として植樹した。西側にも対で老杉があったが、現在は倒壊してない。樹齢は790年以上と考えられている。