福島県白河市旗宿東山

2014/05/05取材

  • 一町仏供養塔
 

囲いの中の三基の碑の内、向かって右側のものが古くから「一町仏」と伝えられてきた供養碑で、阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」が彫られている。

中央のものは、享和2年(1802)に白河藩校立教館教授広瀬典により建てられたものである。広瀬は鎌倉幕府編纂の史書「吾妻鏡」の奥州平泉の藤原清衡が、中尊寺を草創した記事に、「まづ白河関より外ヶ浜に至るまで、弐拾余ヶ日の行程なり。その路一町ごとに笠卒都婆を立て、その面に図絵し」とあることから、一町ごとに建てた碑がこれであり、旗宿関の森が白河関跡であることの証と記している。