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福島県猪苗代町見禰山

 

田中三郎兵衛正玄は、会津藩主保科正之の重臣であった。正玄の父は、佐渡金山奉行であった。正玄は、慶長18年(1613)佐渡に生まれ、16歳で信州高遠で正之に仕えた後累進して家老となった。資性温和で大量の人であったと云う。

保科正之が江戸にあって、四代将軍家綱の補佐として務める中で、その留守の間会津藩の執政を預かり領内に善政をしいた。

寛文12年(1672)5月、60歳で没すると、城下の諸士、領民はともに嘆き悲しみ、藩主正之も「正玄我に仕えること40年、忠貞の誠を尽くし、一度も私をさし挟んだ事を謀ったことはなかった。あ々、天何ぞ彼を我に先立たせたか」と嘆いたという。

同年6月、磐梯山の南麓のこの地に葬られた。この年の8月、藩主正之は、自ずからの墓地をこの地の近くの見弥山と定め、その帰途正玄の墓に立ち寄り、「正玄ここにあるか、我も近く参るぞ」と言い、供の者は皆涙し、仰ぎ見ることができなかったと伝えられる。