福島県須賀川市牡丹園

2015/03/25取材

 

明和3年(1766)、須賀川の薬種商「和泉屋」の伊藤忠兵衛祐倫が、牡丹の根皮を薬用とするため、摂津山本村(現在の兵庫県宝塚市)から牡丹の苗木を譲り受け、この丘陵地の赤松林を開墾し、牡丹の栽培をはじめた。

明治初年、伊藤家から須賀川の綿糸商の柳沼家に譲渡され、以降、観賞用の牡丹の圃場となる。明治36年(1903)、二代目の柳沼新兵衛は、広く公共のためのものと考え「牡丹園」として公開した。

二代目新兵衛の長男の源太郎が牡丹園を継承したが、源太郎は「牡丹とともに起き、牡丹とともに寝た」と伝えられ、寝食を忘れて牡丹の栽培に取り組み、この牡丹園の名声を高めた。

また源太郎は、俳号を破籠子(はろうし)と号し、俳人としても知られ、俳句歳時記の「牡丹」の項には、必ず牡丹園が紹介され、俳句界では奈良の長谷寺と並び称されている。

昭和7年(1932)、文部省より国の名勝として、牡丹園としては初めて指定を受けた