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福島県猪苗代町東町裏

 

この天司の欅は、幹周が15mあり、ケヤキ種としては日本一の巨木であるとされ、またあらゆる樹種を含め福島県内一の巨木でもある。

この地は、かつては猪苗代城の外堀の内側にあたり、城内にあった天主堂の跡と伝えられる。その名もデウスをあらわす「天主」に由来したものと云われ、ケヤキの根元には、かつての天主堂の礎石も残っている。

戦国時代末期、会津一円は蒲生氏郷が治めていた。氏郷はレオンという洗礼名を持った熱心な切支丹だった。ローマにも度々使いを送り、時のローマ教皇から感謝の手紙を受けてもいる。このため家臣や領民にも切支丹が多く、猪苗代城内のこの地にも天主堂が建てられ信者も多かったと云う。

しかしその後次第に切支丹への弾圧は激しくなり、徳川三代将軍家光の時代になると、徹底した弾圧が行われるようになった。切支丹の多くは隠れ切支丹となり、天主堂の跡のケヤキの根元に石の祠を建て、密かに石像を祀ったと云う。