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福島県猪苗代町堅田字廻谷地…津島神社

 

昔、この辺りには大きな沼があり、沼の周りには立派な寺が建ち並び、近郷近在の里人たちの信仰も篤くにぎわっていた。

ある夏のこと、旅の僧が、戸ノロの方から湖沿いにこの地の沼にさしかかり、ふと目を上げると、磐梯山の中腹から赤と青の二筋の雲がたなびき、青い雲は沼のほとりの大御堂の屋根の上を通り湖に垂れ、赤い雲は逆に大御堂の方から磐梯山の頂きに向っていた。

「不思議な雲よ」と見ていると、湖の方からヒヤリと冷たい風が吹き、その方を見ると、湖の中から青い火の玉が飛び出し、磐梯の赤埴山の辺りからは赤い火の玉が飛び出し、その二つの火の玉が大御堂の真上で火花を散らしてぶつかり、花火のように開き沼の中に落ちた。

旅の僧は、「何か凶事が起る」と不吉な思いを抱きながら村に入り、日も暮れかかっていたため泊めてくれるところを探したが、泊めてくれる家はなかった。見たことを話し、村に凶事が起こるかもしれないことを伝えても、「縁起でもねえ、さっさと失せろ生臭坊主め」とののしられる始末だった。

しかしそれでも、この村の名主の家を尋ね頼むと「どうぞ上がってお休み下さい」と温かいもてなしを受け一夜を明かすことができた。旅の僧は、翌朝発つ前に名主に御礼をし、「村人らもあなた方のように親切であれば、村は栄え永く平和に暮らせることでしょうに」といい残して発っていった。

名主は、この僧の言葉が気になり、僧の寝た部屋に行ってみると一通の書き置きがあり「この村は近頃、村人や僧侶ですら道徳が乱れているようで、近いうちに天の報いがあり、水と火の災いが起きるだろう」と書かれていた。

それから丁度21日目の真夜中、沼のほとりに並ぶ御堂の一角から火の手があがり、見る間に堂塔伽藍、僧房全てを焼き尽してしまった。そして多くの僧侶たちも、何時の間にか一人も居なくなり、広い焼野となってしまった。

それから一年ほどして、一人の尼さんが沼のほとりの焼跡に住み始め、読経三昧の日を過していた。尼さんは何ひとつ持たず、その日の糧にもこと欠いていた。これを見かねた名主の家の娘が食べ物や着物を運び、世話をするようになった。名主もこの尼さんの為に小さなお堂を建てた。

数ヶ月、何事もなく過ぎたが、夏の末になると雨が降り出し、それはいつ止むとも知れぬ大雨となった。そして遂に長瀬川の堤防が切れ、村は一面泥海と化してしまった。娘は、尼さんに「このままでは稲は実らず、村人の命にもかかわります。私の身を犠牲にし、泥水が引き雨が止むならば喜んで捧げます」と尼さんに相談した。尼さんはその心に打たれ、二人で念じながら手をとり合い濁流うず巻く沼に身を投じた。すると、こ人の真心が天に通じたか、雨は止み、水は引いていった。

村人たちは、沼のほとりで茫然とこの様子を眺めていると、急に水煙がたち昇り、空中で赤と青の雲になり、赤い雲は磐梯山に、青い雲は湖の中に吸いこまれて行った。これらの不思議な出来事に、村人らは驚き畏れ、首をかしげながら家に帰った。

その夜、名主の枕辺に美しい少女が現われ、「弁天様を祀れば、これからは村は、水を心配することもなく栄えるでしょう」と告げた。少女はよく見ると、沼に身を投じた娘のようだった。

翌朝、このことを村人に話すと、同じ夢を見た者が何人もいた。名主と村人たちは、尼さんと名主の娘は弁天様の化身だったのだろうと、弁天堂を建て二人の霊を弔い、二人が使っていた大皿を沼に沈めて厚く供養したと云う。