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福島県大玉村大山字南新田

2011/04/06取材

 

この地域には、この二子塚古墳のほかに、直径2kmの狭い範囲に、傾城壇古墳を始め、多くの前方後円墳がある。傾城壇古墳は古墳時代初期に築造されたものだが、二子塚古墳は、六世紀後半から七世紀の初期に築造されたもので、これは、この地域の王権が、およそ2世紀にわたって継承されていたことを意味するも のと考えられている。

この古墳は周溝を持ち、墳頂部には拭き石が見られる。埴輪は発見されず、形状は後世の耕作や墓の造作により損なわれているところもある。

古くから、この二子塚地区には、「この地に鍬を入れると、疫病や大雨となる」と伝えられ、大切に保存されてきた。

またこの塚は、病気で死んだ双子の死を悲しみ悼んだ母親が、南方の台地からまえかけで土を運び、一夜で築いたとも伝えられる。