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福島県喜多方市塩川町大在家

 

喜多方市別府の一里塚は、かつての米沢街道の両側にあり、西側の塚は高さ2.8m、底径11.8m、東側の塚は高さ2.75m、底径14.15mで、円形の形をもった典型的な一里塚の形状を保っている。

米沢街道は、会津若松城下から、熊倉、大塩、檜原峠を越えて米沢に至る街道で、中世には金川を通っていた。慶長13年(1608)に塩川通りが本街道になり、近世の米沢街道が確立した。この一里塚が築かれたのは、その頃と考えられる。

戦国期にこの街道は物資の往来は勿論、軍道としてもしばしば使われた。特に米沢の伊達政宗は、この街道を使いしばしば会津に侵攻した。また、関ヶ原の戦いの戦後処理で、会津120万石から米沢30万石に減封された上杉家中は、この街道を通り米沢に向かった。