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福島県喜多方市関柴町三津井字堂ノ下

 

松島山勝福寺は、大同2年(807)の開創と伝えられるが詳細は定かではない。しかし、観音堂脇仏侍の不動明王、毘沙門天像に弘安2年(1279)の体内銘があり、その時期には、寺としての営みがすでにあったものと思われる。

この寺の観音堂は、室町期、勝御前が京から松島への旅の途中、病のためこの地で倒れ、これを哀れんだ村人達が、松島の勝景を一夜にして築き上げ、勝御前を慰めたがこの地で亡くなった。中将政保がその冥福を願って建立したと伝えられ、古くから「勝の観音堂」と呼ばれてきた。

現在の観音堂は、会津の領主葦名盛興によって再建が開始され、20数年を費やして、永禄元年(1558)に完成した。その後幾度かの修繕を経て現在にいたり、国の重要文化財に指定されている。