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福島県喜多方市熱塩加納町宮川字八反田

 

築城者、年代ともに詳細は定かではない。この地に伝えられる話によれば、会津に勢力を拡大した葦名氏の祖、佐原十郎左衛門尉義連が、文治5年(1189)、奥州合戦で功を挙げこの地に所領を得て築城し、居館としたと云う。

義連の孫の五郎左衛門尉盛時は、宝治合戦で滅亡した三浦氏の惣領を継ぎ三浦介を称し、青山城を本拠とし、岩尾館は一族が居館としたと思われる。しかし応永9年(1402)、新左衛門実詮が同族である新宮城主新宮次郎盛俊に攻められ滅亡、岩尾館もそのとき攻められ落城、館主一族は四散した。

その後、子孫は山伏として修験道を治めこの地に戻り、現在まで佐原氏の流れを継いでいる。

現在は宅地や太子堂、稲荷神社の社地となっている。東西約200m、南北約800mほどの細長い館で、濁川西側の、比高約10mの段丘上に築かれていたと考えられる。北及び東側が段丘崖、南は沢、西側は土塁によって防備されていたと考えられ、現在は神社南側にのみ土塁が残る。

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