福島県安達郡白沢村和田東屋口

 

昔、この岩角山に、正覚という若い僧が岩角山(いわづのさん)に庵を結び、里人に信仰を説き、また養蚕と機織りを教えて、貧しい人々の救済に努めていた。

当時のこの地の領主は、地頭の和田宗基で、宗基は妻に先立たれてからは人が変わり、日夜酒食乱業にふけり、里人に過重な年貢を強要し、果ては里の婦女子にも狼藉を働くなど、その乱行は目に余るものがあった。

この宗基には玉絹と言う娘がおり、玉絹は、密かに貧しい里人に金品を施し、機織りを手伝い、父の罪を償っていた。その玉絹に正覚は心ひかれ、いつしか思いあう仲となった。

玉絹が里人たちに教えた草木染めの織物はすばらしく、里の暮らしは次第に楽になっていった。しかし宗基は、更に重税を課したので、正覚は税の軽減を訴えたが、悪僧として捕まり、死罪を宣告されてしまった。

その夜、玉絹は正覚を救うために牢を開いたが、正覚は、「私ひとりの死で里人を救えるなら」と断り、「恋しくば 南無阿弥陀仏と 唱うべし 我も六字の中にこそあれ」と書き残し刑場の露と消えた。玉絹もまた正覚の後を追い、池に身を沈めてしまった。さすがの宗基も、娘の死で目が覚めたと伝えられる。