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福島県会津若松市一箕町八幡字弁天下

 

戸ノ口堰は、元和9年(1623)、猪苗代湖から現在の河沼郡河東町八田野の辺りに水を引き入れるため、郷士の八田氏が起工した。元禄年間(1688~1703)まで工事が続けられ、その後、天保6年(1836)、藩主松平容敬の命により戸ノ口堰の大改修が行われた際、会津藩士佐藤豊助が命じられ、使役人夫5万5千人と3ヶ年の歳月を費やし飯盛山の山腹約150mを掘り進み、水田2500haの潅漑に供した。

慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に、白虎隊士中二番隊は戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣された。しかし、戦い利あらず、帰城のときに隊士20名がこの洞穴を通り飯盛山に至ったと伝えられる。