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福島県会津若松市一箕町八幡字弁天下

 

飯盛山の白虎隊士の墓近くに、「会津藩殉難烈婦の碑」がある。戊辰会津戦争を象徴する一つして白虎隊があるが、その他に多くの女性が自刃、戦死した。

藩からは、早鐘がなったら藩士家族は城内へ入るよう触れが前もって廻っていた。しかし新政府軍が城下に入った慶応4年(1868)8月23日、西郷頼母家の婦女子のように、籠城戦の足手纏いとならない様一家で自刃した家も多かった。また、娘子隊のように入城せず、薙刀を持ち隊に加わり戦った者、入城し負傷者の介護や焼玉の消火、兵糧の炊き出し等を行い被弾し戦死した者、入城する途中流れ弾に当たって戦死した者等、合計約200名の女性達が殉難した。

この碑は、昭和3年(1928)、旧藩士山川健次郎氏(男爵、理学博士、帝大総長)等の篤志家によって建てられた。