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福島県会津若松市神指町

 

 

寿永年間(1183~85)、陸奥の藤原秀衡は、法然上人に深く帰依し、直接その教えを聴聞したいと願っていたが遠方でそれもかなわず、代わりにご真像を拝みたいと願い出た。

法然はこれを喜び、仏師に木像を彫らせ陸奥に赴かせた。ところがこの会津神指村まで来たとき、どういうわけか木像が急に重くなりどうしても動かすことができなくなってしまった。

そこで、この地にお堂を建てて、「来迎院」と名づけ安置し、永く供養することになった。この後、この地を「法然ヶ原」と呼ぶようになった。

その後、来迎院は荒廃し、像は若松の高厳寺に移され、今も尊崇されている。この地にある尊像は、法然上人の800年大遺忌を記念し、模刻されたものである。