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福島県会津若松市大町一丁目

 

豊臣秀吉の命により会津の領主となった蒲生氏郷は、会津城下の大改革に着手し、鶴ヶ城を改修し、城下の町割を行った。

この大町四ツ角は、町方の中心で、高札が建てられ「大町札之辻」と呼ばれた。会津五街道の起点であり、街道に出るにはそれぞれの木戸を通っていった。

この南東の角には商人司の梁田氏が、北東の角には近江から氏郷とともに会津に入った倉田氏が町検断として大きな屋敷を構え、町々には市が立ち大いに賑わいを見せていた。

織田信長の娘を妻に持ち、キリシタン大名であり、また茶人としても利休七哲の筆頭でもあった戦国のエリート氏郷は、城下を造るとともに、漆器、酒などの産業を盛んにし、九十二万石の太守として会津に君臨した。

わずか5年の治世だったが、氏郷が会津の政治、経済、文化に及ぼした功績は計り知れないものがあった。