福島県会津若松市材木町一丁目

 

慶長4年(1868)8月21日、母成峠を突破した新政府軍は、8月23日には会津若松城下に突入した。会津勢は各方面に守備隊が出ており、会津若松城に戻る途中、各地で新政府軍と戦闘になり苦戦続きだった。

このような状況の中で、会津藩家老佐川官兵衛は城には入らず、城外にあり遊撃軍として戦っていた。9月5日、新政府軍が日光口から若松南西部の本郷方面に侵攻するという情報を得た官兵衛らは、この秀長寺とその北側に位置する住吉神社に兵を伏せ、新政府軍に対し奇襲攻撃をかけた。不意をつかれた政府軍は混乱し、会津勢の大勝利となった。

これにより、会津藩は城への補給路を一時的に確保することができ、後の籠城戦につながった。この戦いは、若松城下で会津勢が唯一勝利した戦いでもあった。

境内には、「秀長寺古戦場碑」「戦没者供養塔」「佐川官兵衛歌碑」が並んで建てられている。

雲水に 心はまかせ 澄む月の 法の鏡と 世をやわたらむ

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