福島県二本松市上川崎字稚児山

震災前取材

 

天喜3年(1055)、源頼義、義家父子は、奥州の乱を鎮圧すべく奥州に来たり、安部貞任と戦い、源義家は木幡山蔵王権現の神助により戦勝を得た。その帰り、阿武隈川を渡ろうとこの稚児舞台の地に来たところ、正法壇の法印に凱旋の迎えを受けた。

義家は、岩上で舞う稚児の姿を間近に見ようとし、岩場の高所から馬もろともに落下した。馬は死んでしまったが、義家には少しの怪我もなかったと云う。

また、源頼義にはしばらく子がなく、頼義は京都の虚空蔵菩薩に子授けの願をかけ、それにより義家を授かったという。堂の裏手の自然石には、この義家が矢じりで刻んだという虚空蔵菩薩が刻まれており、この堂の奥の院となっている。

これらの伝承からか、この虚空蔵菩薩と不動明王は、道中安全、子授け虚空蔵菩薩として崇敬を集めていると云う。

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