福島県相馬市中野字北反町

 

正西寺の創建は天明飢饉後、疲弊した農村を立て直す為、越中、越後から多くの農民を移住させ、彼らの信仰だった浄土真宗の寺院が必要となり建立された。

相馬中村藩は、元禄、正徳、享保の最盛時には、最高17万5千俵余の米の収納があり、人口も約9万人に達した。しかし天明の飢饉後は、2万40俵、約3万6千人に激減してしまった。このため、文化年間(1804~1818)、十一代藩主相馬益胤(ますたね)の時代に移民政策が始められ、真宗門徒の農民の移入で戸数が増え、浄土真宗の寺院が必要となった。

当初は幕府から許可が下りず、本願寺の僧侶達の旅籠として申請し、一種の集会所となっていたが、天保7年(1836)に正式に寺院として認められた。

現在の山門は、明治維新後、中村城が廃城となり払い下げられた城門で、中村城の少ない遺構である。又、境内にあるイチョウは推定樹齢600年の巨木で、かつては、その葉の状況から田植えの時期を決めたと伝えられる。