福島県福島市伏拝清水内

 

江戸期の奥州街道は福島市の南部、伏拝の丘陵上を通っていた。そこから福島盆地へは急峻な坂で、「伏拝坂」と呼ばれる難所であった。明治期に県令三島通庸は、伏拝坂を避けて街道の東側の丘陵の中腹に新道を開いた。その後、丘陵を迂回する新道が開削され国道4号線になり、現在はこれらの道とは全く別のルートで開削された国道4号線バイパスが主要なルートになっている。

慶長3年(1598)、上杉景勝が百二十万石で会津に入ると、信達地方も上杉景勝の領地となり、大森城には城代として栗田国時が8千500石で入った。

しかし豊臣秀吉の死後、上杉氏と徳川家康との間はギクシャクとしたものになり、直江兼続を中心とした反徳川と、藤田信吉、栗田国時らの親徳川とに別れたが、主戦派が大勢を占めるようになった。藤田信吉、栗田国時らは大森城を脱出し江戸に逃れようとしたが、国時はこの地で追っ手に追いつかれ討たれた。家族もすべて殺されたという。

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