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青森県藤崎町字藤崎

2012/11/04取材

水に恵まれた藤崎は、周辺村落への用水堰が早くから開削された。浅瀬石川から取水する藤崎堰は近世初頭に開かれ、浅瀬石川沿いの開発に利用された。

しかし、この藤崎堰はたびたび破損した。このため、安東氏の子孫と伝えられる堰八村の堰役の太郎左衛門が、慶長14年(1609)4月、津軽藩の許可を得て堰口で人柱となった。藩はその子に5千刈の田地を与えたが、元和元年(1615)その記録が紛失したとして没収された。

寛永15年(1638)再び堰口が破れ、普請奉行が由緒を調べ、藩は堰成就祈願を命じた。翌寛永16年(1639)津軽藩三代藩主津軽信義は、藤崎村に水神を祀るようにと社領10石を寄進し、太郎左衛門の子孫を社司とし、正保2年(1645)、藩の物入で社殿が建立され、藩主により福田宮堰神社と名付けられた。