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青森県藤崎町字藤崎

 

唐糸塚のある地は、公園として整備され、今に唐糸御前の伝説を伝えている。

唐糸は、鎌倉時代の第五代執権の北条時頼の側室だったが、時頼は唐糸をことのほか寵愛していた。しかしそのため、周囲の妬みを受け、唐糸はついにはその嫉視反感に耐えかねて鎌倉を去る事になった。

時頼は唐糸と離れがたく、再会を約し、従者をつけて落ち延びさせた。唐糸らは、海路十三湊に着き、現在の藤崎町に居を定めた。

やがて北条時頼は出家し、最明寺入道と名を改め諸国行脚に出て、まもなく唐糸は時頼が津軽にもやってくることを知った。唐糸は「落ちぶれて昔の容色も失われてしまった今、どうしてお会いできましょうか」と悲しみ、池に身を投げてしまった。

やがてこの地に来た時頼は、村人から唐糸御前のことを聞きねんごろに菩提を弔った。その悲しみは深く、鎌倉への帰途7日毎に寺を建立したと云う。

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