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青森県深浦町深浦元城

 

別名:深浦館

深浦港の南方の丘陵端に位置する。東、西、北の三方は急崖で守られ、南方には5本の空堀がある。郭は2つあり、北側の最高部に東西約33m、南北約88mの主郭がある。二の郭は東西約80m、南北約100mほど。

嘉吉3年(1443)、南部義政に攻められ破れた安東氏は十三湊を去り蝦夷地に渡ったが、その後も領地回復のため度々津軽に上陸し、南部氏と戦った。

安東義季は津軽奪還を目指した父康季と共に、文安2年(1445)、津軽西浜に上陸したが、康季は引根城で病死、義季も宝徳3年(1451)、津軽大浦の狼倉館で兵を挙げたが、享徳2年(1453)南部氏との戦闘に敗れ自害、安東氏嫡流は断絶した。

安東氏の一族である葛西伊勢守頼清は辛くも逃れ、永正年間(1504~21)初め頃に元城に入り、木庭伊勢頼清と称した。

その後、深浦館は深浦弾正が拠点としたが、大浦氏の攻撃を受けて敗れ没落したと伝えられる。落城のとき、黄金の鶏を井戸に投じたという伝説が今でも伝えられている。

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