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青森県深浦町深浦吾妻沢

2015/08/27取材

深浦町では、縄文時代の遺跡が数多く発見され、数千年の昔から人々がこの地で生活していたことがうかがわれる。そして、この吾妻浜の地は、安倍比羅夫が帰順した蝦夷たちを集めて、大饗宴を開いた地と伝えられる。

安倍比羅夫は、『日本書紀』によれば、斉明天皇4年(658)に水軍180隻を率い、蝦夷を討った。比羅夫の水軍は、能登の七尾、伏木あたりで勢ぞろいし、現在の新潟市や村上市の港を前進基地として準備をととのえ、北進を開始したと思われる。

齶田(今の秋田)・渟代(今の能代)地方の蝦夷は、比羅夫の圧倒的な軍勢をみて降伏を願い出た。比羅夫はこのとき、降伏した蝦夷に渟代、津軽の二郡を与え、有馬浜で蝦夷たちを饗応したとされる。同年、生きているヒグマ2匹とヒグマの皮70枚が献上された。この有馬浜が吾妻浜だと伝えられる。

比羅夫は、翌年の斉明天皇5年、6年とにわたり、計7回にわたり遠征を行い、蝦夷地や樺太まで遠征したと考えられ、蝦夷を帰順降伏させた。