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青森県深浦町追良瀬字初瀬山草分

2015/08/27取材

見入山観音堂は、津軽観音霊場第9番の札所で、津軽霊場の中でも最も難所とされている。

見入山観音堂は、平安時代に、天台宗の高僧の智證大師により開かれたのが始まりとされる。その後、南北朝時代の康永3年(1344)、藤原氏家が大檀那となり堂宇を再建し、行円和尚を招き中興したと伝えられている。

その後、無住となり衰微したが、円覚寺の管理下に入り、修験の場として整備された。明和8年(1771)に、円覚寺の永慶法印が再興し独立、寺号を善寿院に改称し、修験道場として発展した。歴代弘前藩主にも崇敬庇護され、代参も行われ大いに栄えたという。

しかし明治時代初期の神仏分離令と修験道廃止令により、明治7年(1874)に善寿院が廃寺となり観音堂として再び円覚寺の管理下に入った。大正11年(1922)の火災により、多くの堂宇や寺宝、記録などが焼失した。

現在の見入山観音堂の建物は大正13年(1923)に再建されたもので、岩壁を利用した懸け造りである。昔から“窟(いわや)観音”と称され、本尊は如意輪観音である。本堂の前には、薬師・毘沙門・愛染・弁天・稲荷・山神・胎内くぐりには不動明王、麓には地蔵・吉祥等の九つの堂社がある。今も観音霊場として地域の人々からあつい信仰をうけている。