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青森県平川市碇ヶ関字西碇ヶ関山

震災前取材

津軽藩藩祖津軽為信は、天正14年(1586)、秋田比内の浅利氏を攻め、大浦城に帰陣する際に、この地に関所を設けた。

津軽藩二代藩主信牧は、城長根に遠見番所を造り、四代藩主信政は町割を行い、関所及び本陣を移転新築し、明治4年(1871)まで続いた。

貞享2年(1685)、関所が完成した時に、藩主が、日本三大関所で一番であると喜び、一兵が横たわれば万兵をも防ぐことができると祝杯をあげたと伝えられる。

後年、幕府の巡検使に随行した古川松軒の東遊雑記に、「厳重なること箱根の関も及ばない」と記している。