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青森県今別町大字大泊

2017/11/01取材

長州藩の吉田松陰は、ロシア船の北方出没を知り、その防備を検分するため、嘉永4年(1851)12月(陰暦)に、宮部鼎蔵と共に脱藩覚悟で、江戸から140日間に及ぶ東北遊学の旅に出た。

津軽半島では、三厩、今別、平舘を通り、青森に向かったと記録されており、この地は海峡警備の検分に平舘台場へ向かう途中通った。

この地は松前街道の難所で、袰月海岸の波打ち際に洞門が穿たれている。この洞門を通るには、干潮時の打ち寄せる波の合間を見計らって素早く通り抜ける必要があり、まさに命がけの難所だった。