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青森県平川市碇ヶ関

震災前取材

この復元門は、道の駅「いかりがせき」に復元されているが、碇ヶ関跡は、この地から約3kmほど南にある。

津軽藩藩祖津軽為信は、天正14年(1586)、秋田比内の浅利氏を攻め、大浦城に帰陣する際に碇ヶ関を設けたとされる。貞享2年(1685)、関所が完成した時に、四代藩主津軽信政は日本三大関所で一番であると喜び、一兵が横たわれば万兵をも防ぐことができると祝杯をあげたと伝えられる。

碇ヶ関は、本陣を控えた関所だったために、厳重な造りだったと云う。この門も、一般には城郭外門として建てられるものであり、津軽藩の碇ヶ関に対する思いが今に伝えられる。