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青森県弘前市白石町小路

震災前取材

弘前では明治になるとすぐに、明治5年(1872)布教が開始された。この教会は明治43年(1910)に建設された。

この教会の祭壇は、オランダの聖トマス教会にあったものを昭和14年譲り受けたもの。慶応2年(1866)に作成されたもので、ベルギーの展覧会で最優秀賞を得たゴシック様式の芸術品。

慶長19年(1614)、2代藩主津軽信牧の時に、津軽藩は幕府の命により、加賀、京都から71人のキリシタン流刑者を受け入れた。この中には宇喜田家中の者が多く、荒地の開墾に従事したと言う。 また津軽為信の長男信建、三男信牧は為信の命で洗礼を受けたとも伝えられる。

このようなこともあってか、ジェロニモ神父やアンジェリス神父が弘前を訪れており、慶長19年(1614)から元和にかけての飢饉の時期には、京都などの信徒組織から弘前のキリシタンに義捐金や救済のための物品が送られている。

その後もガルバリヨ神父が弘前に入ったりしているが、キリシタンへの圧力は強まり、寛永15年(1638)、73名のキリシタンが捕縛され殉教している。