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青森県弘前市相馬紙漉沢

2013/08/20取材


別名:皇后堂、白姫堂、白御堂、白山権現堂

この堂は、長慶天皇の皇后で、伊勢宮菊理姫(菊子姫)の墳墓に建てられた堂である。

菊理姫は、新田宗興の養女で、宗興が伊勢で討ち死にした後、天皇と供に各地を転々とし、(1385)、浪岡から紙漉館に移り、この地で盛徳皇子が誕生した。

この地で皇后は、紙を梳く技術を村人たちに教えたと伝えられ、この地の地名の「紙漉沢」の由来になっている。

その後皇后は、応永23年(1416)、逝去した。その墓標に榎を植え、白山権現を祀ったとされる。