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青森県弘前市大字西茂森

2013/08/20取材


別名:栄螺堂

この御堂は、六角堂と呼ばれ、天保10年(1839)に、当時の豪商の東長町中田嘉兵衛により建立されたもの。

この地は、天明、天保と続く飢饉により数万の餓死死亡者が出て、また海難で死亡した者も多く、嘉兵衛は、これらの無縁の諸霊冥助のために発願したと云う。

堂は八角の稜形で、内部は栄螺形の廻り階段になっており、全国でも稀な建築様式で、観音菩薩、他諸仏体を安置している。