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青森県弘前市下白銀町

2013/08/20取材


日露戦争前まで、弘前市には公立図書館がなく、明治36年(1903)に開館した私立図書館も、日露戦争勃発により動員された兵士の宿舎として徴発されるという有様だった。そのため、日露戦争開戦に伴う諸工事、物品納入等で大きな利益を得た堀江佐吉や実業家の斉藤主等5人の篤志家がこの図書館を建設そ、弘前市に寄贈した。当時の正式名称は「日露戦捷記念弘前市立図書館」である。

当初は追手門広場付近の、市立東奥義塾(現在の東奥義塾高等学校)の敷地内に建設されたが、昭和5年(1930)に図書館が別の建物に移転することとなり、また東奥義塾の校舎拡張も相まって、昭和6年(1931)に設計、施工を手がけた堀江家に払い下げられ、弘前富野町に移築された。

その後は、所有者も替わり賃貸アパートや喫茶店として利用されてきたが、平成元年(1989)、弘前市が再取得して現在地に再移築した。現在は、市立郷土文学館の施設として保存公開されるとともに、郷土出版物や文芸資料などが一般展示されている。平成5年(1993)青森県重要文化財に指定されている。

建物は、ルネサンス様式を基調とした木造洋風3階建てで、寺院建築に見られる木鼻を用いるなど和風様式も取り入れている。外観は石積基礎に白漆喰壁、屋根は煉瓦色の鉄板で覆われている。左右両端に配置された八角形3階建ての塔が特徴的で、建物全体に窓が多く配置され、さらに正面中央には採光のためのドーマー窓を設けるなど、図書館としての機能にも配慮された設計となっている。