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青森県弘前市稔町

2013/08/20取材

 

弘前学院は、明治19年(1986)、日本メソジスト教会初代館監督、旧東奥義塾塾長の本多庸一によって設立された。この外人宣教師館は、明治39年(1906)、弘前女学校(現在の弘前学院大学)にアメリカ婦人伝道局から派遣されたメソジスト派の婦人宣教師の宿舎として建設されたもの。当初は市街地中央にあったが、校舎の移転とともに昭和53年()、現在の稔町に移築されたもの。

木造2階建てで、南西隅に八角形の尖塔が配置されている。館内の1階集会室は畳敷きとなっているなど日本の様式も見られるが、屋根はトラス構造で、尖塔先端の突針飾りや尖塔脇の煉瓦積煙突、淡黄色の下見板壁に葡萄色の柱や土台、また半円形の欄間窓など、全体的には西洋館が強くイメージされている。アメリカのメソジスト本部で設計されたものを、日本の大工が施工できるように設計図を描き直したものという説もある。

平成16年(2004)からは弘前学院の資料館として保存・一般公開されている。昭和53年(1978)、国の重要文化財に指定された。