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青森県蓬田村瀬辺地

震災前取材


玉松海水浴場の西側の小高い台地にある玉松台は、松の木に囲まれた約1.9haの緑地公園である。

この玉松台には、次のような伝説が伝えられている。

この地には昔、性悪な狐と狢が棲んでいた。ある日、馬喰の友助が、瀬辺地川でかご一杯にハゼを釣って家に帰る途中、男に化けた狐にハゼをだましとられそうになった。友助は狐のあとを尾けて行くと、狐は玉松台の松林の下の穴に入っていった。

友助が様子を伺っていると、穴の中から狐と狢の話し声がした。その話とは、狢が馬に化け、狐が友助に化けて、青森に馬を買いに行くことになっている庄屋様をだまそうというものだった。

友助は一計を案じ、翌朝、狐が化けた友助になりすまし、狐より一足先に狢をたずね、狢を馬に化けさせ、まんまと庄屋様に売りつけた。

さて庄屋様に言いつけられた若者が、馬に水浴びをさせていると、近所の犬が吠え出し、それに驚いた馬に化けた狢は元の姿に戻り一目散に逃げ去った。これを聞いた庄屋様も、あの友助も狐か狢が化けたものだったろうと納得した。結局、狐と狢は友助に逆にだまされ、庄屋様は損をし、友助が一番得をしたと云う。

この地には樹齢300年以上の老松があり、この松を、拝み石の上から見ると、枝が円状に見えることから「玉松」と呼ばれ、この地の地名になっている。

この玉松は、江戸時代に青森港や油川港へ向かう船が目印にしており、この玉松を見て「あと何時間で着く」と目算していたと伝えられる。またこの高台から眺める陸奥湾の景観は美しく、参勤交代で松前街道を通る松前藩主が、玉松の下で休憩したと云う。

園内には日露戦争の戦没者の墓や忠魂碑が建てられている。明治37年(1904)、日露戦争が開戦すると、在郷軍人68名がこの地で集会を開き、たとえ戦死して異鄕の土となっても、魂だけはこの地に帰りたいと願い、3日間の奉仕作業で墓地工事を行ったと云う。