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青森県南部町相内字荒屋敷

2014/08/24取材

 

この相内観音堂は、糠部三十三観音の十七番札所となっている。

南部氏初代南部光行は、一族家臣73人を従え、6隻の舟に分乗し、鎌倉由比ヶ浜より糠部の新領地に向かい、建久2年(1191)12月に八戸浦に到着した。馬渕川をさかのぼり、この地に到った。

光行一行は、観音堂が狭いため、近くの小高い丘にある助左衛門の家を仮の宿とした。この時藩主の館は堀がなければならないということで、村民総出で堀を掘ったという。故にこの館を「一夜堀の館」と呼び、また地名から「相内舘」と称している。

この観音堂は、むかし「正往山円通寺」と称し、永享9年(1437)に再興され、宝永4年(1707)に高五石を給された。