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青森県五戸町字舘

2014/08/24取材


五戸の代官所は、盛岡南部藩の、三戸郡下13ヶ村、北郡下15ヶ村の計28ヶ村、約1万4千石を統轄していた。五戸代官所の設置年代は寛永12年(1635)ごろと推定されている。

代官所には代官2名の他、下役、帳付、御野場別当、牛馬役、御蔵奉行など13名前後が勤務していた。

明治2年(1869)に廃止され、明治3年(1870)には幕末の戊辰戦争で敗れた会津藩が、新たに南藩3万石が許され、田名部の円通寺に藩庁を移すまでの3ヶ月間、この旧五戸代官所に藩庁が置かれた。

その後、明治5年(1872)には「青森県民事堂五戸支庁舎」、明治27年(1894)までは「五戸小学校校舎」として利用された。

建物は文久年間(1861~63)に再建されたもので、木造平屋建、寄棟、茅葺、平入、内部には式台付玄関、玄関の間、本座敷、御用之間、台所、水屋などがあり、外壁は真壁造、板張、素地と極めて質素な造りになっている。

現在の建物は当時の代官所の平面図を基に復元されたもの。