青森県八戸市豊崎町上永福寺

2016/04/07取材

 

七崎神社は、天長元年(824)、四条中納言藤原諸江が、時の天皇の怒りをこうむり、流刑の身となり海路八戸に上陸した。八太郎に居を構え魚介を獲って暮らしていたが、ある日、これまでに見たことのない神仏像がかかり、小社を建立しこれを祀った。その後の承和元年(834)正月に見た霊夢により、ここ七崎山に遷座したと伝える。

藤原諸江が流刑されたとする前年の弘仁14年(823)は、嵯峨天皇が藤原冬嗣の反対を押し切り淳和天皇に譲位した。このようなことが背景にあるのかもしれない。

また七崎神社は、もと七崎観音と言い次のようにも伝えられる

昔、このあたりの長者の娘が八太郎沼に棲む大蛇の人身御供になることになった。これを聞いて京から配流されていた公卿の姫が身代わりになり、沼のほとりで法華経を読んだ。その法力で大蛇は沼に封じ込められたが、姫もまたここで落命してしまった。長者の手で姫が観音に祀られたのがその由来であるという。

この七崎山で、三湖伝説の一方の主役である南祖坊が修行したとも伝えられている。南祖坊は、現在の青森県三戸郡斗賀で生れた。七崎山は、当時は修験の大規模な拠点寺社で、南祖坊修験一派が実在していたと云う。一派は七崎山を拠点に、十和田湖周辺を霊場、修験の地として開山するとともに、そこに至るまでの参詣道もつくったと云う。

承安年間(1171年〜75)には、僧行海が諸国を巡歴し、この地で秘法を執行した。そのとき行海は、これほどの霊地はないとして、境内に北斗七星をかたどり7本の杉を植えたと伝えられる(異説あり)。そのうちの3本が今も現存しており「神の杉」として地域の人々に崇められている。

江戸期の七崎山は神仏混交の修験道の地だったが、明治初年の廃仏毀釈令により七崎神社となり、今に至る。

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