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青森県八戸市南郷

2016/09/26取材

 

治承元年(1177)高倉天皇の時、平重盛は父清盛の不忠を諫めたが聞き入れられず、秘かに京都を去り、自ずからの余生を送るべく、最適の地を求めて、この島森の郷に来た。

この地で、兜の前立てに隠し持ち、常日頃拝んでいた虚空蔵菩薩を浅田山の山頂に祀ったのが始まりとされる。

元禄5年(1692)八戸南部二代藩主の南部直政の武運長久祈願所となり、本尊の虚空蔵菩薩一体が寄進された。

明治の初期の神仏分離令により、虚空蔵堂を龍興山神社と改称した。