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青森県平内町東田沢字横峰

2014/08/23取材

 

この椿山には、次のような悲しい恋の伝説が伝えられている。

その昔、越前商人の横峰嘉平という人が、交易のため、船でこの東田沢の地を訪れた。この地に逗留する間に、村の娘のお玉と相思の仲になり、末は夫婦になろうと語り合った。

嘉平は、この地での仕事が一段落し、一時越前の国に帰らなければならなくなり、お玉は「京の女がつけている椿の油が欲しい、絞って塗りたいので、今度来るときはその実を持ってきてください」と頼み、名残りを惜しみ泣いて別れた。

お玉は嘉平を待ちつづけたが、約束の年もそして次の年も船は来なかった。待ち焦がれたお玉は、嘉平が約束にそむいたと深く恨み、海に入って死んでしまった。村の人々は悲しみ、海が見えるこの地にお玉の墓を作って弔った。

三年を経た次の年、嘉平は約束の椿の実を持ってこの地を訪れたが、お玉の死を村人から聞き、嘉平は倒れんばかりに嘆き悲しんだ。嘉平は墓に参り、せめて慰めにと、椿の実をお玉の墓のまわりに埋めて、この地を立ち去った。

嘉平が埋めた椿の種はやがて芽を出し、年々繁殖し、椿が山を覆うようになり、今日の椿山になったという。

花咲くころになり、枝を折る者がいると、清らかなお玉が現れ、「その花を折り給うな」というと伝えられる。

明治の文人の大町桂月も、その紀行文の中でこの椿山の話を書きとめ、次の短歌を残している。

ありし世の その俤の偲ばれて 今も八千代の 玉つばきかな

現在も土地の人々はお玉の墓を守っており、このあたりは横峰と呼ばれている。