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青森県平内町小湊

2013/04/26取材

 

平内はかつては南部領だったが、津軽為信の津軽統一により天正15年(1587)以降は津軽領となった。

明暦2年(1656)、津軽藩三代藩主津軽信義の弟の信英(のぶふさ)は、黒石、平内、上野の大館を合わせた5千石を分知され、以来平内は黒石津軽藩の飛地として、安永4年(1775)にこの地に代官所が置かれ、明治維新まで統治された。

その後は明治5年(1872)の学制施行により、翌年の明治6年、旧代官所を校舎として、「官立平内小学」が創立された。

この地にはかつては小湊館があったとされ、福館城と共に七戸隼人宗慶が館主だったとされるが、詳細は不明である。