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青森県黒石市境松

2015/08/26取材

 

黒石城は、内広市館、外広市館、花館の3郭で構成されていたというが、その遺構はほとんど消滅している。

鎌倉時代の末期、工藤貞行が田舎館の地頭代として入部し、その居館だったと考えられる。

貞行は、建武3年(延元元・1336)の田舎館合戦の際には、南朝方として参加し、元亨3年(1323)以後の藤崎安東氏の内乱や、正慶2年(元弘3・1333)~4年の大光寺館合戦、石川館合戦においても活躍し、恩賞によって領地を与えられた。

その後の詳細は不明だが、津軽統一後は津軽為信の隠居城だったと云う。