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青森県青森市油川

2014/08/23取材

 

奥州街道は江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋を起点として千住から白河へと至る街道である。

五街道としての奥州街道は正式には奥州道中といい、江戸幕府道中奉行の直轄下にあった白河以南を指し、道中には27の宿場が置かれた。

しかし一般には、実際に奥州を通る脇街道もふくめた街道の総称として用いられている。この脇街道とは、陸奥白河から仙台までの仙台道、仙台から蝦夷函館までの松前道であり、勘定奉行や沿道の諸藩の管理下におかれた。

すなわち日光街道との分岐点である宇都宮から白河までと、仙台道、および松前道のうち、この青森までを指すことが多い(異説あり)。

江戸時代初期には主に東北諸藩の参勤交代の交通連絡に用いられたが、中期には蝦夷地開発のため、江戸末期にはロシアからの蝦夷地防衛のために往来量が増加した。

明治6年(1873)に陸羽街道と改称され、現在はその大部分が国道4号となっている。