青森県鰺ヶ沢町富根町

2013/06/09取材

 

この地は、明和3年(1766)の大地震と、それに伴う大津波により多くの犠牲者を出した。この供養塔は、それらの犠牲者を弔う為に建立されたもの。

船問屋の菊屋善右衛門が、兵庫御影町の石工幸四郎に宝筐印塔を造らせ、同家の伝宝丸で運び建立した。宝筐印塔には正面種字に地蔵、背面に十一面観音、向って右側に吉祥天、左側に不動明王を刻み、死亡者の戒名も見られる。

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