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青森県平川市南田中字村内

2015/08/26取材

 

田中館は、田中太郎五郎の嫡子惣右衛門宗久の館だったと伝えられる。

田中太郎五郎は、永禄11年(1568)に、甲斐の南部庄より津軽に移り、知行百石で大浦為信の馬添役として召し抱えられた。

天正7年(1579)に、為信により津軽を追われた滝本播磨、北畠左近、南部六郎、七郎兄弟らが、安藤氏の支援を受け、300余騎で津軽に侵攻し、乳井城を落とし乳井茶臼館に入った。

これに対して乳井氏と大浦氏は六羽川の戦いで滝本勢を破った。この戦いは激戦となり、大浦為信は危険にさらされたが、このとき田中太郎五郎は、為信の身代わりとなり全身に銃弾を浴びて討ち死にした。

津軽平定後、為信はこの太郎五郎の功績を称え、嫡子宗久が12歳になったとき2百石に加増し、永く功臣の家として遇したという。