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青森県五所川原市相内

2012/05/14取材

 

唐川城は十三湖の北岸に位置した標高160mの山城である。中世この地を支配した安東氏は、福島城を築城し、この唐川城をその支城として築いたと思われる。

城域は、掘によって大きく北郭、中央郭、南郭に区画される。北、南郭には現在でも大きな井戸跡がある。十三湖や日本海の状況が手に取るように把握することが出来、福島城の物見的な役割も持っていたと考えられる。

応永18年(1411)、三戸の南部守行が陸奥守に任ぜられると、これを機として津軽統一に乗り出し、安東氏と対立するようになった。このため安東氏は南部氏と婚姻関係を結んだが、嘉吉3年(1443)頃、南部政盛は安東盛季に見参のためと称し福島城に入り、奸計をもって一晩で福島城を奪取した。

福島城を追われた盛季は、この唐川城に一時退き態勢の立て直しを図ったが果たせず、さらに柴崎城を経て蝦夷地に逃れた。その後安東氏はこの地に戻ることはなく、唐川城は福島城とともに廃城になったと思われる。