弘前市大字乳井字外ノ沢

2015/08/26取材

 

乳井神社の創建は、延暦年間(782~806)で、坂上田村麻呂が津軽に7社建立した内の1つで、毘沙門天が勧請され武器が納められたと伝えられる。

伝承によると津軽の地は京都から北東方向にあり鬼門にあたる事から、坂上田村麻呂はその鬼門鎮護の為、北斗七星に模った位置に大星神社(青森市)、浪岡八幡宮(青森市浪岡)、猿賀神社(平川市)、熊野奥照神社(弘前市田町)、岩木山神社(弘前市百沢)、鹿島神社(西目屋村)、乳井神社(弘前市乳井)を勧請したと伝えられている。

その後荒廃したが、承暦2年(1078)養寛が福王寺を開山し、神仏混合し乳井神社も再興された。乳井氏は福王寺の別当だったが、武力的にも大きな勢力となり、戦国期には乳井玄蕃は「津軽法師三大名」「沙門大名」などと称され、この地を支配した。

しかしこの地は、石川城や大光寺城に南部氏の代官が置かれるなど、南部氏が支配を強め、永禄8年(1565)、玄蕃は大光寺城の滝本重行により暗殺され一時衰微した。

江戸時代に入ると、弘前藩の祈願所として庇護され、現在の社殿である旧毘沙門堂が、明暦元年(1655)に弘前藩三代藩主津軽信義によって再建された。

明治初頭の神仏分離令により、それまでの神仏混交は見直され、仏式が廃され、乳井神社と社号を改称し明治6年(1873)に郷社に列した。

現在の乳井神社社殿の旧毘沙門堂は、入母屋、鉄板葺(元はこけら葺)、平入、桁行5間、梁間5間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、素木板張で、内部は外陣が拝殿、内陣が幣殿の役割を果たしていた。

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