青森県弘前市鬼沢字菖蒲沢

2015/08/26取材

 

坂上田村麻呂東征のおりに、岩木山山頂奥宮に鎮まる高照姫神の霊験によりこの地に再建されたとされる。

一般には、鬼を祀った神社として、通称「おにがみさま」と呼ばれている。鳥居の扁額では、鬼という字には、上部のノがない。これは、ツノのない優しい鬼だと言うことを表しており、この地では鬼は忌むべき存在ではないようだ。

拝殿には、額に入れられた鉄製農具が多く奉納されており、中には1千年前の鉄製の鍬形もあると云う。このように広く民間の信仰を集めていたからだろう、境内には狛犬はもちろん「狛馬」や「狛魚」までが奉納されている。「狛魚」は非常にめずらしいが、魚の商人が奉納したと伝えられる。

また社宝として奥殿に納められているものに、赤穂藩主が贈った扁額があるという。これは、当時の赤穂藩主が病にかかり、津軽のニンニクが、脳溢血やその後遺症である運動麻痺によく効くということから、津軽藩ゆかりの者が津軽のニンニクを贈ったところ、赤穂藩主の病状は回復した。喜んだ藩主は、津軽藩九代藩主寧親に、そのお礼として扁額を贈ったと伝えられる。そのときのニンニクが鬼沢産のものであったと言われ、今も年一度の祭礼ではニンニクの市が立っている。

 

・鬼神社の鬼

昔、鬼沢がまだ「ながねはだち」と言われていた頃、ある日、弥十郎が岩木山のあそべの森にしばかりに行った。弥十郎がしばをかっていると、森の奥から天にもとどく大人(おおびと)が現れた。

大人は、「すもうとって勝負しねえが」と言う。弥十郎は少し驚いたが、一緒に楽しくすもうをとった。

その夜、弥十郎が寝ていると、外でドスンと大きな音がした。起きてみると、山のようなしばがつまれていた。そのようなこともあって、弥十郎と大人は仲良くなり、毎日すもうをとっていた。

ある日のこと、弥十郎が沈んだ顔でいるのに気付いた大人が弥十郎にわけを尋ねると、弥十郎は「田んぼに水がこなくて」と言った。弥十郎は新しい田んぼを開いたものの、水がすぐ枯れてしまうのだった。
大人は「俺にまかせろ、しかし俺が仕事をしているところを見てはだめだぞ」と言った。弥十郎は決して見ないことを約束して帰った。

ところが、弥十郎のおかみさんが、いつも弥十郎が出かけるのでこれはおかしいと思って、山へ行ってみた。するとなんと、鬼が大きな岩を動かして水の道を造っている。驚いたおかみさんは「山に鬼いたぞ!」と、村人たちに話してしまい、驚いた村人たちはみんな家の中に隠れてしまった。

次の日、村人たちが外に出てみると、田んぼにたくさんの水が流れている。「これで、米がとれるぞ」と、みんな大喜びだった。大人は谷底から水をひき、低いほうから高いほうへ流れる堰「逆さ堰」をつくったのだった。弥十郎は礼を言おうと大人に会いに行ったが、鍬とミノ笠を置いたまま大人は消えていなくなっていた。

大人のつくった堰のおかげで、「一ヵ月雨が降らなくても水不足にならない、一か月雨が降り続いても洪水にならない」土地になった。村人たちは大人を鬼神様として祀り、堰をつくったときの道具をかざった。そして、「ながねはだち」は、鬼がつくった堰のあるところとして「鬼沢」と呼ぶようになった。
鬼沢には、「鬼の腰掛け柏」や「鬼の土俵」など、鬼伝説縁の場所がある。鬼沢の住人は、今でも節分の日に豆をまかない、端午の節句に、ヨモギや菖蒲を屋根にのせないことを習慣にしている家が多い。鬼沢では、鬼は生活の身近にいる神様なのだ。

鬼の正体は、田村麻呂に追われ岩木山麓に隠れ住んだ落武者であるとか、卓越した製鉄技術、潅漑技術を持っていることなどから、大陸から漂着した渡来人ではないかという説もあるが、この地が江戸時代初期に、キリシタンが配流され開墾にあたった地でもあり、それに係るものかもしれない。

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